(同じ名前の場所は、北海道の登別温泉にも存在する。)
まさに、大きい湯の沼であり、ネーミングの即興性に笑ってしまう。
すぐ隣には、湿生植物が咲き乱れ魚も棲む淡水の大沼(おおぬま)があり、同一視する観光客もいるようだ。
大沼

(「たんぽ小町ちゃんとゆかいな仲間たち〜黄金歴史街道『鹿角』を往く〜」2008年10月03日より転載)

後生掛温泉に近接する約2kmの「後生掛自然研究路」は、「おなめ(妾)・もとめ(本妻)」・「紺屋地獄」や「泥火山」といった火山現象に触れることができる。
大湯沼は、「後生掛自然研究路」の火山現象の中でも最も大規模なものであろう。
大湯沼

大湯沼の全景 (この写真は、ディープダンジョンかづのblog様より以前に許可を戴いた物を転載しました。)
※昭和30年頃は、写真向かって手前側で盛んに蒸気が噴出していたが、だんだんと奥側に暑いところが移動している。
以前の暑い場所には、泥火山ができている。
百度近い熱湯が湧き、湯煙が立ち込める大湯沼の周囲は約1キロで、昭和30年代は沼を歩いて一周することができた。
(現在では道が寸断され、立ち入りが禁止されている。)
道とは言いながら、いわゆる踏み分け道であり、これを歩くことはかなりの危険が伴っていた。
夕闇が迫るころには、道を誤って大湯沼に落ちる人もいた。
また、自発的に大湯沼に身投げする(自殺)人もいた。
これらの人達が助かるハズも無い。
遺体の捜索は投網を投じる等により行われたが、大湯沼は酸性の高温の湯であったため、肉体はおろか骨にいたるまでが溶けてしまい、遺体が発見されることは少なかったようだ。
大湯沼に限らず、昭和30年以前の後生掛自然研究路や後生掛温泉に至る道は、あちらこちらに火山性の噴出孔が顔を覗かせていた。
噴出孔は確認できるので避けることができるが、通常の地面にしか見えない場所が厄介ものであった。
この厄介ものの地面は、薄い表面が固まっているだけで、その下では火山活動が行われている。
道を管理している者がロープ張りする等して指定した道を踏み外した者。
運が悪ければ、踏み外した道で厄介ものの地面にはまってしまうことがあった。
軽くて、片足の脛。
重ければ、腰までが、アッという間にはまってしまう。
泥濘に落ちた状態を想像すれば、この場面を理解できるだろう。
やっとのことで立ち直っても、はまってしまった部位は重度の火傷となり、皮膚が剥けてしまうこととなる。
玉川ダムが工事中であり、国道341号線も開通していなかった時代である。
火傷の規模が甚大な場合、大病院が無かった鹿角郡(現在の、鹿角市花輪附近)では処置できなかったため、自衛隊のジープ出動を依頼して角館方面に搬送していた。



